再び生かすということ

山奥の一軒家。


「自然豊かな場所」は、「自然の力が旺盛」な場所でもあります。


人工的なものは、手を加え続けないと、

自然に飲み込まれ、あっという間に朽ちていきます。


自然にとって、人工物は所詮異物に過ぎないのでしょう。

自然界は絶え間なく異物を朽ちさせ、自然へと、元の土へと返そうとします。


「自然豊かな場所」に住むためには、自然界に対し自己主張を続けなければならない。

「すんませんけど、ここに暮してますんで」

生活という自己主張を続けなければならない。

それを怠ると、家も畑も草木に取り巻かれ、元の山に戻されてしまうのでした。


家というものは、人が住まなくなると傷むといいます。

町を歩いていても、誰も住んでいない空き家というものは

なんとなくそれと分かります。


生気がないというか・・・。


家も畑も、人の肉体みたいなものかもしれない。

肉体は、生肉なのに、しかも36度くらいの温度で保たれているのに、

生きている間は腐らない。


しかし、死んだ途端、すなわち呼吸と血液循環が止まった途端、

ただちに腐り始める。


家も畑も、呼吸と血液循環が止まると、役目が終わったものとして

自然に還ろうとするのだろう。


呼吸:風を通し、

血液:生活という営み、手を加え続けるということ


それがない家は、生気がなくなる。


家も生きものなのだ。


僕がかつて暮した山奥の古民家も、自然へ帰ろうとしていました。

元々、築100年くらいの古い家なのに、それを10年近くも放置してしまったのでした。


心のどこかでずっと気にはなっていたのです。

「今ならまだ間に合うかもしれない」


遂に重い腰を上げ、廃屋再生にチャレンジすることにしたのでした。


再び、山の家を生かしてみよう。

このブログを廃屋再生の記録にしようと思います。



山奥の廃屋を再生することにしました。

10年近く放置した廃屋を再生することにしました。 元々、築100年近い古民家を廃屋にしてしまったので、なかなか困難なチャレンジではあります。 でも、チャレンジは困難である方がオモシロイ。 果たして再び住める状態にまで復旧できるでしょうか? 再生の過程をこちらに記録していきたいと思います。

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